「死んでいった君へ、、、。」

「あの時、死んでいたらいいのか今でも分からない。ただ今生きているのは、君を想う人を存在させるだけかもしれない」

7、最後のメール、君を失った日。

鬱病は適切な治療を受けないと、なかなか治らない。治療をしてさえも、半数近くの患者は慢性化してしまう。僕の記憶が正しければ、哲学者キルケゴールは「死にいたる病」という本を書いた。内容はわからないが、まさに「鬱」は「死にいたる病」だと思った。
僕の場合は、「AC」や「ボーダー」という背景もある。一筋縄にはいかない。
10月になり、季節はすっかり秋になっていた。トンボも飛び始め、夕焼け空がオレンジになっていた。暖かい間、僕は半袖のシャツを着て、右腕にロングリストバンドをしているのだが、もう長袖を着る季節になっていた。ルカは半袖の時もリストバンドをしておらず、傷もなかった。「アームカットは入院中の一度だけでやっていないんだ。」と、ほっとした。自傷行為も僕のようになれば、医師も手をつけられないほど依存性がある。クリニックの医師に僕が自傷行為を頻繁にするのを見て、「うちに入院病棟があればすぐに入院させているんだ……。」と言われたことがある。でも大抵の自傷行為は、入院では治らない。ODも入院では治らない。一次的な避難場所であるだけである。
僕はクリニックの診察で、「傷のない自分は自分ではない。傷が無いと生きてはいけない。」と言うほど依存状態にあった。それが生きるための手段だった。現にどんな安定剤を飲むよりも、切った時の痛みや流れる血に心が癒されていた。でもそれは僕がアームカットだっただけで、彼女のその役割はODだった。僕はその気持ちも分かった。僕もまたOD依存になっていた。退院した後も何度かODをしていた。ただ事件化してなかっただけだ。10月初旬のある日、僕は体調が悪く、家に籠っていた。


10月3日12時31分
「そりゃ僕は能力のない病人ですよ。
見捨てられ不安半端じゃないですよ。
せっかく病院で「問題ありません。」発言したのに
帰ってきて切ってる。
父との電話が原因。
治まらなきゃまた切ります。
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ODは入院費がかかるのでしませんが
アムカで終わらせたのですが
血管切ったようです。
タオルと服が血でべちゃべちゃに
なったので、新しいタオル巻いて、
ガムテープでグルグルまき。
心臓より腕を上に上げています。
でもまだ他の場所も切りたい。
切らないですけど、父が帰ってくる前には、
血が止まっていて欲しいものです。
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出血の量が半端じゃなくて大変でした。
血管に当たったんでしょうね。
床が血の海になって、タオルの4枚ほど使いました。
10月3日14時06分fromルカ
「タカちゃん、腕大丈夫ですか?
病院行って、縫ってください。
……でも実は私も切りたいです。
切れるタカちゃんが羨ましいです。
切ったら楽になるけど、傷のある女の子のこと
タカちゃん、どう思うかな?
じっと我慢するけど、本当は今日タカちゃんに
会いたかったな。
そうしたら、気分晴れると思うもん。
2人でなら生きられるよね。
消毒ちゃんとしてね。^^」

ルカはいつもの様にメールをくれ、励ましてくれた。しかし、この時君はあの笑顔ではなく、時に見せる「遠い目」をしていたのだろう。
そして次の日の昼頃、僕は何の気なしにルカの携帯に電話した。すると、聞き覚えのない、中年の女性の声がした。
「あの、嶋田ルカさんの携帯ですよね?」僕は聞いた。
「私、ルカの母です。もしかしてタカシ君ですか?」静かで細い声だった。
「はい、タカシです。あのルカさんは?」
「タカシ君。落ち着いて聞いてね。」ルカのお母さんは気丈に振る舞っていた。
「ルカは今朝早くに亡くなりました。」
えっ?亡くなった?ルカが?
「な、何故ですか!?本当ですか!?」僕は大きな声でまくしたてるように詰め寄った。
僕は頭が真っ白になった。ルカが死んだ?なんで?
「どういうことですか!?」
「ルカは素敵な男性に巡り合ったって。普段あんまり話さない子なのに、嬉しそうに言っていたんですよ。今度お母さんに紹介するって。」ルカのお母さんは声を震わせた。僕はまだ、理解できなかった。何が起きたのか、分からなかった。
「タカシ君、あなたはあなたの人生を歩んでね。」お母さんは泣いていた。僕は何も言えなかった。何を言うべきかも分からなかった。
「ごめんなさい。僕がついていたのに。」そう言いたがったが、声が出なかった。涙があふれ言葉は嗚咽に変わった。ごめんなさい。本当にごめんなさい。伝えたいのに声が出ない。
「ありがとうね。タカシ君。ルカは幸せだったのよ。ありがとうね。」そう言って電話は切れた。ありがとうなんて言わないでください!
「くっそー!僕は何をしていたんだ!!」僕は握りしめた携帯電話を壁に投げつけた。死んだ。ルカが死んだ。
「わー!!」大声で叫び、床を殴りつけた。拳からから血が出た。そして頭を掻き毟り、床にうずくまった。まるで、世界の終わりのように泣いた。こんなに泣いたことはなかった。両親が離婚した時だって、動揺を見せず「理解のあるいい人」を演じてきた僕が。「いい人」なんて真っ平だ!そんなものは、何の意味も無いんだ!
ひとしきり泣き、少し落ち着いてきたとき、僕はA 病院に車を走らせた。助けてほしかった。曽根さんや大森さんに話を、ルカが死んだことを聞いてもらいたかった。僕はどうすればいいのか、教えて欲しかった。速度を飛ばし、他の車を追い抜いて1時間半かかる道を、1時間でA 病院に辿り着いた。玄関をすり抜け、3階の売店前まで階段を駆け上がった。曽根さん大森さん!ルカが!ルカが!助けて! 頭の中はそのことで一杯だった。

ようやく売店前まで辿り着くと、曽根さんと大森さん、そしてヒトミちゃんがいた。3人が、尋常な状態でない僕に気が付いて驚いていた。
「タカちゃん、そんなに急いでどうしたの!?」曽根さんが、まるで意表を着かれた様に目を大きく開いてびっくりして言った。
「はぁ、はぁ、ルカが、ルカが……。」息が切れて上手く話せない。僕は息を整えようと、床に手をついて落ち着こうとした。
「ルカちゃんがどうしたの?」大森さんが僕の肩に手を当てた。大きな手に僕の異常さが伝わったのか、
「大丈夫?タカちゃん。」曽根さんの心配そうな声だった。
「ルカが……死にました。」やっと声が出た。
「えっ!?」曽根さんが大きな声をあげた。売店のおばさんはその声に驚いていた。
「本当なの?タカちゃん!」大森さんが僕の両肩を掴んだ。
「はい、今朝亡くなったそうです。」ルカのお母さんはそう言っていた。3人とも絶句し、目を見合せていた。沈黙の中に、僕の荒い息遣いだけがあった。
「こっちに来て座って!」大森さんが僕を起こしてくれて、ベンチに座らせてくれた。僕は何をしたらいいのか教えて欲しかったが、目をつぶって息を飲むことしかできなかった。
「ええ、マジぃ!?」そこに嫌な声が聞こえた。菊池だ。奴もいた。売店に来ようとしていたのに、居合わせてしまった。
「ルカちゃん、死んじゃったの?もったいない」菊池は軽く言った。もったいない?何がもったいないんだ。ふざけるな!何なんだよ!
「何なんだよ!お前!!」僕は大声を出して立ち上がり、菊池の顔面を殴りつけた。菊池は勢いよく売店の陳列棚にぶつかり倒れた。スナック菓子が飛び散った。売店のおばさんも仰け反った。
「タカちゃん!」曽根さんが、制止させるように叫んだ。大森さんは止めなかった。
「痛ってえな!お前こそ何だよ!」菊池は床に手をついて、起き上がろうとして言った。
「お前と付き合っていたから死んだんじゃねえのかよ!ヤク中だろ。頭の病気の奴はみんな自殺するんだよ。お前だって死ぬつもりで薬飲んだんだろ!」
僕はもう止まらなかった。ぶつけようの無い悲しみと怒りで、立ち上がった菊池を殴り倒した。片手しか動かない菊池は派手に倒れ、僕は菊池の上に馬乗りになり胸ぐらを掴んで叫んだ。
「ルカは必死に生きていたんだよ!お前に死ぬってことが分かるのかよ!ルカはなあ……!」そう言うと大森さんが僕の体を後ろから抱きかかえ立たせた。
「タカちゃん、もういい。菊池、ふざけたこと言うのもいい加減にしろ!」大森さんの怒った声は菊池を黙らせた。
騒動を聞きつけて女性看護師が走ってきた。
「どうしたんですか大きな声出して!菊池さん大丈夫?」菊池は鼻と口から血を流していた。
「いったいどうしたの?」僕の息遣いだけが響き、俯いて立ち尽くしていた。事情は曽根さんと大森さんが話してくれた。ヒトミちゃんは泣いていた。他の患者さんや看護師も集まってきた。菊池は看護師に連れられて、ナースステーションに連れられて行った。
「伊藤さん、事情は分かりましたから今日はお帰り下さい。」と、顔見知りの看護士に言われた。僕はまだ怒りに体が震えていたが、大森さんや曽根さんにも諭され、その日は家に帰った。
菊池は、僕のことを訴えると言っていたそうだが、医師や看護師も事情が事情なので訴える事だけはしないように計らってくれた。そして僕は、A 病院に出入り禁止になった。色んな事が終わった気がした。そして残ったのは、ルカがいなくなったという現実だった。全てが無意味に思えた。
僕はルカから来たメールは、もしかしたら「SOS」だったのかもしれない、と自分を責めた。しかしそれはもう遅い。ルカは僕の前から消えていってしまった。ODをして死ぬ確率は低い。大抵発見されて胃洗浄を受けるか、自然に回復するかで、運が悪い場合は脳や内臓に障害が残る。彼女は死ねて良かったのか、悪かったのかは今となっては誰にも分からない。僕は神様を呪った。そして、こういう結果を生んでしまった自分自身をも憎んだ。生きる決心をしていながら、彼女に生きる道を示してあげられなかったのだ。