「死んでいった君へ、、、。」

「あの時、死んでいたらいいのか今でも分からない。ただ今生きているのは、君を想う人を存在させるだけかもしれない」

4、過去、鬱の兆し、裏山の景色

ある時、僕は6階で陣取ってテレビを見ているルカに会いに行って話していた事がある。中学生だった時の事。僕の中学の時はね……。


僕は、授業が終われば、サッカー部の副キャプテンとして部活にでて、休みの日は、友達と遊ぶ毎日だった。今思えば、あの頃は何も悩みが無く、また、あまりにも世間のことを知らなさすぎた。心が一番平和だった。
でも、部活も終わって、本を読むようになって、次第に内向的になっていった。僕は、今まで読まなかった、太宰治ドストエフスキーなどの著書を好んで読んでいたのも、 その性格になっていったからだろう。
遊びもスポーツから、友達と見よう見まねで覚えたマージャンをした。マージャンはすぐに学年中に広がり、お金を賭けるようになっていった。最初は数百円の賭けも、段々エスカレートしていき、数千円から多い人は万単位で借金をしている人もでてきた。そうなると、不良仲間の中ではいかさま紛いのことをする人もでてくる。僕はそういうことが大嫌いで、人付き合いも毛嫌いするようになり、マージャンもしなくなって、友達と遊ぶこともなくなってきた。そしてどんどん暗くになっていった僕は、勉強はほとんどしなかったけど、周りもする人も少なく、成績は平均的で、進学を考えて塾に通う人以外は皆どんぐりの背比べ程度の成績であった。僕は楽な私立の単願受験で、面接のみで高校に進学した。


「ルカちゃんはどうだったの?」
「うーん、函館に住んでいて、フツーだったよ。勉強も普通にして、帰ってきて寝ての繰り返し、詰まんないじんせーって感じ!」
「で、受験は?何高だったの?」
「高校行ってない。」
「えっ!?高校行ってないの?」
「そうだって!何回言わせるの?」
君はこの話が嫌な事のように僕に言った。
「東京に行っていたの!それで、予備校行って大検!で、北海道の大学入って、今1年生!」
このことに驚き、僕はもっとルカのことを聞きたかったが、話しているのはほとんど僕のことばっかりだった。
「それで、それで、」と聞きまくるのだ。

僕はもうその笑顔に心を囚われていて、ルカの心の中にある暗い影のことなど忘れていた。
でももしあの時冷静に考えることをしたならば、根暗で頭の悪い僕と違って、その頃から今の、人生に刹那的な、今の僕と同じく影を背負った君だったのだろう。君は中学を卒業すると、皆とは同じ高校へは進学せずに、一人で東京に上京した。そこで大検を受けるため、予備校に通った。何故そうしたかは、聞かなかった。いじめられるタイプではない。既に人生に冷めていたのだろうか。そのことは君の苦しい事を思い起こさせるようで、僕はとても聞けなかった。でもただ僕は逃げていたのかもしれない。ルカの気持ちを全部受け取るには、まだ時間が足りなかったのだと思った。


「で、高校の時はどうだったの?」
僕は高校に進学すると、友達もたいして出来ない、暗い生活を送っていた。やりたいことも無く、部活にも入らなかった。退屈で面白くない人間だった。ただ、入試の面接の際に面接官に、
「君の成績を見ると、勉強頑張らないとついていけないよ。」と脅されていたので、馬鹿正直な僕は、ノートをきちんと取り、宿題を真面目にこなしていた。
僕の通っていた学校は入試の点数で、「普通コース」と「進学コース」に分けられ、僕は普通コースに入学した。初めての試験で6クラスある普通コースで、学年2位の成績をとった。中学の時から考えると、ありえない順位であった。
そして1度目の試験で、テストの点数の取り方が分かった。高校1年時、僕は学年5位以内を常にキープし、教師やクラスメイトからも、一目おかれるようになった。そして、2年生に進級する時、「進学コース」に移されることになった。僕は勉強が特に好きではなく、しかし特にやりたいことも無かったのと、落ちこぼれにはなりたくなかったので先生の言われる通りに勉強をしていた。だから特にレベルの高い「進学コース」で苦労する気にはならなかったので、コースを変える事を拒んだ。
しかし、担任教師は自分のクラスから、「進学コース」にいく生徒がでることは評価が上がるのだろう。教師は必要に、「進学コース」を勧めてきた。そこで、僕は半ば無理やり、「進学コース」に移された。


授業中、漫画を見たり、騒いだりしている生徒が多い、「普通コース」に比べて、大学進学を希望している生徒が多いこのクラスでは、皆真面目に授業を受けていた。僕は点数の取り方が、他の生徒より知っていたのだと思う。このクラスでも、5位以内に入るようになっていた。僕は決して優秀な頭を持っていたわけではない。ただ、定期テストの点数の取り方を知っていただけだ。
教師は授業中に、「ここはテストに出るからね。」とか、「ここは重要だから。」など、テストに出すであろう点を発信する。なので、それをチェックしておいて、前日に、計算式や歴史の問題を丸暗記する。教師も手を抜いて、教科書や参考書の問題をそのままテストに出す。するとそれが出ると、僕は理解はしていないが、点数は取れるのだ。そのため、僕は教師が作るテストではない、大学の入試に出たような模試では点数は悪かった。応用が利かない。要領がよく、ずる賢いだけなのだ。だから、大学の入試試験は受からないと思った。
僕は皆に勉強が出来ること(ただ点数が良いだけ)で好かれていて、クラスの居心地は悪くは無かった。僕にも次第に友達も出来るようになり、よく話すようになっていった。
少し、生活に張りが出てきた頃、僕は生まれて初めて真剣に女性に恋心を抱くようになっていた。家に居る時間がもどかしく、毎日でも学校に行ってその子に会いたかった。僕は仲の良い友達に、恋の相談をして、ある日告白することにした。
「ふーん。それでそれで?」ルカは興味身心だ。
それで、返事は1日待たされた。その娘は、
「この前失恋したばかりで、今は付き合えません。」と言った。僕はタイミングが悪かったのだろうと思うことで、自分を立て直していた。しかし、数ヵ月後、僕が相談していた友達と告白した女の子が交際していることを知った僕は失恋の悲しみと、友達の裏切りに生きているとも死んでいるともとれないほど落ち込んだ。
「これが失恋というものか。」そう思って、浮かれていた心に重い鉛の玉をぶら下げている様な感じで、普通の落ち込みとは違った。立ち上がれないほど打ちひしがれていた。僕は元々落ち込みやすい性格だ、とその時知った。
僕はこの出来事が、医師にも言っていない「発病」のきっかけだと思っている。


それと同時期に、僕の両親の関係は破綻してきていた。この頃から、睡眠の質が悪くなり、頭が痛く重くなった。悪い事は重なっていくものだ。こういう時は、何をやってもうまい方向にいかない。僕は、生きていく希望が見えなくなっていた。鬱状態だった。そして、学校に行けなくなった。

父の兄、僕の叔父は小さな町であったが名士で、町議を勤めていた。
母は仕事が終わって食事が終わると、父との不満を晴らすように、町のスナックに飲みに行く日々が続いていた。そこで選挙が近いからと、母に「飲みに行くな!」と、いうことを父の実家から言われたのだ。母は酒癖が悪く、お酒を飲むとヤクザにも絡む様な人だった。
身内が毎晩、酒を飲んでは、騒ぐという噂は小さな町では、すぐに父の実家の耳に入った。選挙に不利になる。父は母に、「酒を飲みに行くな!」という。母は、「なんでさ!」と口答えをする。そして気分が悪いからまた飲みにいく、という悪循環の日々が続いていた。


母は東京の人であった。そんな母に、この噂で溢れかえる小さな町は苦痛であった。
「こんな町、嫌だ。東京に戻りたい。」と、たびたび口にするようになった。
ある日、いつものように母が飲みに行くと、父は玄関の鍵を閉めた。深夜になって、母が「開けろぉ!」とチャイムを鳴らしたり、ドアを蹴ったりする。すると僕は、玄関に行って鍵を開けた。
「お前、私のこと馬鹿だと思っているんだろ。」と、母に言われた。
「そんなこと思っていないよ。」と、僕が言うと、母は父と違う部屋に行って眠った。こんなことが毎日起こった。
それでも、母は朝6時には起きて、仕事を休むことは無かった。僕と兄の学費を稼がなくてはいけなかったからだ。お酒を飲むと暴れるが、飲まないときは、理想の母親になる。
その行動が、僕を悩ませた。いつも悪い母なら、反抗出来る。しかし、重労働をして帰ってくる母を見ると怒れない。悪い人はいない。誰にも当たれなかった。頭の中に苦しい思いが残った。
そんなある日、僕は失恋と、両親の不和からイライラして、髪の毛をめちゃくちゃにハサミで切った。どこにもぶつけられない感情を、自分に向けたのだ。少しすっきりしたが、死んでしまいたいような気持ちは続いていた。
その時初めて、果物ナイフを手に取った。腕にナイフをあて、すぅーと切った。頭の中がキーン、とするほどの激痛が走った。3本程切ったら、少し気持ちがすっとした。皮を切った程度だったが、血が流れた。これがはじめての僕のアームカットだった。
この頃から、僕は嫌なことがあると、腕を切ることで現実逃避をするようになっていた。実際、切ると落ち着く。まるで「麻薬」の様だった。
君は一人っ子で、親の過干渉が嫌で、実家には帰りたくないと言っていた。君はそれでOD を始めたのだろうか。僕達は、心を落ち着けるために、自分に刃を向けたんだ。いつかここから抜け出せるような気がして……。


ついに、と言うか、やはりと言うか、両親の仲は改善されなかった。新しい男の人を連れてきた母が一方的に出て行く、という形になった。母はそのことを僕に告げる時、涙を流しながら、「別れることになったから……ごめんね。」と、僕に言った。僕は取り乱すのは何か違うと感じ、「学費はどうするの?」と、的外れな返答をしてしまった。僕はいつも肝心なところで逃げる卑怯者なのだ。


実際、専門学校に通う兄と、私立の高校に通う僕の学費は父一人ではかなり大変な額になっていたが、父は、
「それは俺が何とかする。」と言った。僕は、涙は出なかったが、居心地が悪く、自分の部屋に閉じこもった。父は母に最低限の着る服だけを渡し、ブランド物のバックや服は全て焼却炉で燃やした。
「今回のことは全部俺に任せて欲しい。」と父は言っていたので、僕は何も口を出さなかった。
母は勤めていた仕事を辞めて、札幌の方に引っ越していった。細かい住所は教えてくれなかったが、電話番号だけは教えてくれた。不幸にも、その頃母方の祖母が、町立病院の特老に入院していた。既に話すことも、食事を取ることも出来なくなっていたが、洗濯などの世話をする人が必要だった。
母は病院と住んでいるところが遠く、紐の男と二人暮らしで、時間もお金もなく、祖母の洗濯などは結局僕の仕事になった。
失恋、離婚、祖母の世話、と様々なことが重なった僕は、「自分が我慢すればいい。」と思ってこなしていたが、ストレスは確実にたまり、円形脱毛が出来、腕を切り続けた。

4つ違いの兄は僕が高校2年を終わろうとする頃、クラスでも2,3名位しか受からない「情報処理1種」の資格を取り、周りは就職活動で走り回っている時にでも、わざわざ東京から北海道まで面接官がきて、漏れなく兄はその会社に就職した。就職活動らしい事をしていない兄は、おそらくリクルートスーツなどというものも持っていなかったのだと思う。4月も近づくと、会社で紹介してもらったアパートに兄はすごすごと引っ越していった。


普通は長男の行動を見て、次男は上手く親の前で立ち回るものだが、少なくともうちの家庭では違っていたようだ。高校3年になったこの頃の僕の生活は午前3時くらいに寝て、昼12時に起き、何もせず音楽を聴きながら、そしてたまにBOOK-OFF で買ってきた村上春樹などの小説を読み漁っていた。
そして、僕が起きて来ると、父は私立の高校に通いながら出席せずに学費だけ払っていることに業を煮やし、学校を行くのか辞めて働くのか迫るようになった。当然のことだ。
机の上には、求人の新聞広告が毎日のように置いてあった。僕もアルバイト情報誌を買ってはみたものの、思考はプラスではなくマイナスのベクトルを向いていた。
最後に兄が残していってくれたものは、「インターネットのできるパソコン」であった。
「これを見て暇つぶしでもしたら?」と言って置いていってくれたのである。
「パソコン使わないの?」と兄に聞くと、
「なんか、会社からあたるらしいよ。」と言って、
「ここは遊ぶ所もなんも無いから、ネット使わなきゃ腐るよ。」と、兄らしいつまらない言い回しで言っていた。
若い男がインターネットが出来る環境になると、得てして「アダルトサイト」に向かうもので、僕も例外なく閲覧していたが、それ以上に僕の検索するワードは「死にたい」「消えたい」「アームカット」など、メンタルヘルスに関することだった。そのようなアングラ的な情報は、ネットでは現実世界の何十倍もの容量の情報が詰まっていた。
今の自分の状態を知りたくて、インターネットで様々な心の病気のテストしてみると、どのサイトでも「中程度以上の鬱」と出た。「受診が必要」的なものだった。そしてアームカット。血の流れた画像が情報化社会の中で、氾濫していた。僕と似たようなもの。浅いもの、深いもの……。他の人の画像と比べてみると、僕のは中の上ぐらいの深さだった。
その頃のアームカットは、ナイフより簡単に深く切れるカミソリに変わり、傷も深く血も多く出した。まるで、自分の感情を流れ出すようにだ。
それと同時に、自分を消してしまいたいと、食事を取ることもしなくなっていった。3日に一度クラッカーを少し食べるというほとんど無食という感じで、2ヶ月で62キロあった体重が、50キロまで減っていった。父はそんな僕には気付かず、お酒を多く飲むようになったが、仕事だけは続けてくれた。その頃、僕はただ「消えてしまいたい。」と思うことが多くなっていった。そして、時間が心の疲れを癒してくれたのか、高校を卒業するとアルバイトを始めた。


ルカ……この頃から僕は病気だったんだよ。
一人だった。
「シニタイ」とは何か違う。「消えたかった」のだ。自分の存在自体を消したかった。皆から、僕という最低な人間の記憶を消したかった。初めからいないものであれば、死ぬのとは違って、誰も傷つけない。消えてしまうのが一番自分に合っている、と思った。
君もこんな想いをして生きていたのだろうか……。もっと早く君に会いたかった。ルカ、君は北海道のレベルの高い教育大学に入学した。もう既にOD依存になっていたのだった
ら、辛かっただろう。
後で、「先生になんかなれないよ。」と言っていたよね。教育大学を受けるくらいだから、「教師」には憧れていたのだろうけど、でも君は「なれない。」と言った。「なれない。」と言った、4文字の理由なんか聞けるようなものではなかった。僕は肝心なことからまた逃げたのだ。そのルカの言葉がとても悲しかった。
「そんなことより、裏山の公園見に行こうよ。行ったことある?」と僕は聞いた。
「ううん、ない。」ルカは首を振った。
「すごい景色みたいだよ!札幌を一望出来るんだって!」
僕はルカを連れて外に出た。そうすると、外は病院内とは別世界で太陽を直視できなく思いっきり真夏だった。空には雲一つもなく、太陽の陽が燦々と降り注いでいる。まるで、外に出た僕達のこれからを祝福しているようだ。
外に曽根さんが病院の庭に敷き詰められた緑の草の上に座り、日向ぼっこをしていた。微妙な距離で歩いていた僕たちを見て、
「手ぐらいつなげばいいのにー。」と冷やかしてきた。ルカはニコッと笑ったが、僕は、自分でも驚くくらい迷いも無く手をつないだ。
「あ、つなぐんだ。」と、ルカははにかんだ。
「うん。」と僕が言うと、ルカは僕の手をぎゅっと握った。ルカの手は小さく細く暖かだった。裏山の公園までは獣道で、木で出来た細い橋を渡るときは手を離して歩いたが、開けるとルカのほうから「手、繋げるよ。」と言って、僕の手を握った。色んな花が咲いていて、ルカは一つ一つに感動していた。良くも悪くも繊細な娘だった。僕はルカとこうしている
事が嬉しくなり、「ねぇ、「ルカ」って呼んでいい?」と聞くと、「いいよ。私は今まで通りタカちゃんね。」と答えた。「ルカ」とルカ自身に言うことで、ルカのいる前では呼び捨てに出来ない菊池さんよりも線が引けたと思った。
草が僕達よりも高く伸びていて、虫の鳴き声と交って、とても新鮮だった。草花の緑の匂い。久しぶりに嗅いだ気がする。高台までの長い階段を、僕達は一段飛ばしでかけ上がり、頂上に着いた。
「わぁ、すごーい!!」ルカはそう言って目を輝かせた。
そこからは青く広い空と遠くに白い雲、眼下には札幌の美しい景色が眺められた。圧倒的な自然の暖かさに僕達は興奮した。そしてそこで一時間ほどベンチに座った。まるで絵葉書の一部になった様な気分だった。
「ルカのアパートは北区だからあっちの方だよね。空気が澄んでいるから、札幌のこっち側からも見えるんじゃない?」僕は遠くを指さした。ルカも手を伸ばした。
「多分あっちの方。すごい!見えそうだね!テレビ塔も見えるよ!」この時のルカは、病気の文字とは無縁な娘に見えた。
微かに流れる風には、夏の匂いとともにルカの香りがした。ルカは僕の肩に頭を寄せていた。時は僕たちを乗せたまま静かに流れた。
「ルカ?」僕は彼女の頭をなでた。
「ん?」ルカがこっちを向いた。そして、僕達は初めて口づけをした。僕は初めて女性の唇に触れた。一瞬、時が止まったように感じた。ルカの唇はとても柔らかく、優しく僕を包んだ。二人は照れくさく少し笑った。
「このまま時が止まればいいのにね。」ルカは遠くを眺めながら言った。動かない街と空の景色。この一部分に確かに僕たちは生きている。
「そうだね。」僕も同じことを考えていた。1時間ほど何も話さず、景色を見ていた。それだけで幸せだった。いつまでも続くであろうこれからの未来に、心にあった暗闇は溶かされていった。
そうしていると、僕達の静かな時間を動かすように少し風が強くなってきた。
「涼しくなってきたね。戻ろうか。」
「連れて来てくれて、ありがとう。」ルカは僕の顔を見て笑った。
僕たちは立ち上がって、手を繋いで病院に戻っていった。この時、僕はルカと一緒に生きて行こうと思った。


8月15日19時21分
「今日はRちゃんと結構話した。
過去のことも全部。
大切な人に聞いてもらえてうれしかった。
Rちゃんは中学時代に何かあったのだろうか?
高校には行っていないって言っていた。
どうしてかは聞けなかった。
聞いて嫌われるより、無難な方を選ぶ自分は
情けない。
それよりもRちゃんのことをRと下の名前を
呼び捨てで言っていいことになった。
限りなく嬉しい。
しかも、裏山の公園でキスをした!
初めてのキス!(赤面)
今日はこれだけで満足です!」