「死んでいった君へ、、、。」

「あの時、死んでいたらいいのか今でも分からない。ただ今生きているのは、君を想う人を存在させるだけかもしれない」

序章 愛する君へ

ルカ、君がいなくなってから、もう18度目の夏が来る。僕の机の上は、その時々の気分で本棚から取り出された書物で埋まっている。写真立ての中の君は、いつまでも18歳の、あのときの笑顔のままだ。人生で一番可能性があって、輝いている時。そして横にはシルバーの指輪がある。


僕はもう30代も後半になってしまった。空は君と裏山で見た時と同じように、今日も晴れている。誰かが、「空に手を伸ばせば、離れていてもいつもつながっている。」と歌っていたけど、18年の年月が流れていても、僕達はつながれることが出来るのだろうか。
君と出逢うまでの僕は仕事もできず、社会ともつながれず、不安と恐怖で誰にも気付かれない下水溝の中で、溺れるようにもがき苦しんでいた。


「シ ニ タ イ」


人生に行き詰まった僕が大量の薬を飲み、救急車で運ばれた病院で僕達は出逢った。この運命的な出逢いが、僕の日常に彩りを与え始めるなんて、その時は夢にも思わなかった。僕は、君と出会って18年が経った今でも、たまに腕を切りたくなる。でも今はもう切らない。18歳の僕だったら、確実に切っていただろう。

目をつぶって、昔切っていた時のことを思い出す。 床に新聞の広告を敷いて、新品のピンクの柄のカミソリを持つ。左利きの僕は、右腕をカミソリで切っていく。まるで別人が切っているように、痛みも感じず、機械的に切る。ただ切るのではない。力を入れてカミソリを腕に埋めていき、横にじっくりと引いていく。
僕の腕にピンクのカミソリの柄が埋まる頃、キーンとした痛みを感じる。それが快感だ。腕からは、赤黒い血が流れ始める。僕はこの時、小学生の時にパレットに赤の絵の具をつけて、水で溶かす場面を思い出す。血は柄を伝って、カミソリの反対方向からも最初はポトポトと、次第に血液の間隔はなくなって、ダラダラと広告に落ちる。まるで、屋根を伝う雨粒の様だ。5センチ位切っていき、カミソリを肉塊から取り出すと、皮膚の下の脂肪が広がり、勢いよく血が流れ落ちていく。更にそれを横に3本切り、今度は縦にその上を切っていく。ちょうど碁盤の目になるように。既に横に切っている所をカミソリが通ると、より深く埋まり、血の流れが多くなる。
そして、カミソリが静脈に触れる時、気付くと血液は広告をはみ出して、床に流れている。そうすると満足して、僕は傷痕に新しいタオルをガムテープで巻き、体を横にして仰向けになり、心臓より腕を高く上げる。心臓から下にすると、頑丈に固定したタオルも役割を果たせず、赤黒く染まり、タオルを通り越して血が流れ落ちる。何度も静脈を切った経験から、処置の方法を学んだ。
しかし満足をする反面、僕は静脈を切る度に後悔する。処置が面倒なのだ。多くの人、(恐らく普通は)は、縫合するのだと思う。だが僕は縫わない。一度縫われたが、縫うのも、消毒するのも、抜糸するのも、安くはない費用が掛かる。自分で切っておいて、お金を払って縫うのは馬鹿らしい。こんな時は、外科医の見下げた言葉など聞きたくない。
僕は、昔はこんな事を繰り返していた。何時しかそれも意味を持たなくなり、切らなくなる。主治医の適切な薬物療法、注射、カウンセリング、そして認知行動療法を10年以上して切らなくなった。
18年前の僕は、心が病んでいて窓もカーテンを閉め、6畳の四角い闇に閉じこんでいた。
まともに日常の生活が出来なかった僕は、ルカに出会って、昔のいい事も嫌な事も何でも話せたことが嬉しかった。今まで溜め込んでいた、心の闇を吐き出す事が出来た。今の僕があるのは、君と出会えたからだと思う。
君と過ごした2ヵ月間は、暗闇にいながらも、生きている意味を持ち、光を感じられた。


僕達に人生で初めて訪れた幸せな日々は、本当に短い間だったけれども、永遠のものに感じられた。もしあの時、君を一人にしていなければ、今でも君は隣で笑っていてくれるだろう。そう考えると胸が苦しくなる。そして毎年、僕は、この季節になると、ふと一緒に過ごした日々と裏山の景色を思い出す。 君を失ってから、何度も何度も君を想って書いた手紙は、机の引き出しに閉まったままだ。だけど、そんな手紙も今回が最後にしようと思う。


新しい朝を迎えにいくためにも、僕らの夢の続きを歩いていくためにも……。