「死んでいった君へ、、、。」

「あの時、死んでいたらいいのか今でも分からない。ただ今生きているのは、君を想う人を存在させるだけかもしれない」

2、初めてのOD、薬、自殺未遂。出会い

 

僕は7月の終わりの昼頃、新しい仕事を探さなければならないのに、また同じような経験をするかもしれないと二の足を踏み、求人に応募することが出来なかった。

ある日の夕食中、父に「早く仕事を見つけろ!」と怒鳴られた。僕は精一杯の気持ちで、「出来ないんだよ、仕事。それ以外にも、人付き合いや、今までできなかった事、全部何もかも出来ないんだ。」と涙ぐみながら言った。
「出来ないんじゃないんだよ。やる気を出せ、と言っているんだ。家にいても部屋に閉じこもって、寝ているだけじゃないか!せっかくバイトを始めたと思ったら3カ月も経たないで辞めて、いったい何がしたいんだ。」そう言うと、父はウイスキーを飲みほして、「それから、腕を切るのはやめろ!気付かないとでも思っているのか!考え方が少しおかしいんじゃないのか!?もうちょっと真面目に考えろ!」と言い捨てて、自分の部屋に入っていった。僕は口惜しさと何もできない自分の不甲斐なさに、溢れる涙を止めることが出来なかった。


そして次の日の昼間に、僕はどうしても現状を破りたがったがどうしてもできず、自分はもう敗者なのだと思い込んでしまい、これ以上生きていく方法はなく死のうと思った。
僕は風邪薬やアレルギー薬を何かに取りつかれたように胃の中に入れ、生まれて初めて大量服薬(オーバードーズ、OD)をした。それとアームカットもしていた。僕は札幌の中でも、大きなA 病院に救急車で運ばれた。何故運ばれたかは後で聞いたのだが、僕が無意識に助けを求めて警察に電話していて、不審に思った警察官が訪ねて来ていたからだ。ODした時は自制心が効かずに、思ったままに行動する。僕は、口や鼻や喉に色々な管をつけて、指には酸素量を測る器具がつけられ、手首には点滴の針を刺すのに、その度に皮膚に穴を開けなくてもいいように、常に針を刺された状態で固定されていた。
さながら、人体実験をされているような装備であった。
僕は、機械音のするICU で4 日間過ごした。まるで、別世界に来たように社会から隔離されていた。胃洗浄をしたかは分からなかった。胃洗浄するかどうかは、薬を飲んでからの時間で決められる。僕は200錠以上の薬を、ビールで飲んでいた。そして、運ばれた翌日の夜に意識が戻った。
ICU では、僕の飲んだ薬の量が多かったからか、意識が戻ってからも大事をとってもう2日間、この病室(ICU)にいることになった。3日目には大分周りの様子もわかるようになり、ベッドのカーテン越しに、何人も重体の患者さんが横になっているのがわかった。奇しくも、アルバイトで働いていた営業所と同じような白い壁であったが、ここは清潔感があり、機械がたくさんつけられていて、印象はまるで違った。営業所を悪魔の住む洞穴と例えるならば、ここはこんな自分を受け入れてくれる守護神のいる秘境のようだ。窓も無く、時計もここから見えないので、朝なのか夜なのかもわからなかったが、寝る時間に、「眠剤を入れます。」という看護婦さんの柔らかで、且、しっかりとした声だけが時間のわかる合図であった。


僕は横になっているのが暇なのと、動けない居心地の悪さで看護師さんに、「暇だ。」というと、「こんなものしかないけど……。」と古いディズニー映画を見せられた。その映画は、子どもが見るようなつまらないアニメで、僕はそれを見ていてさらに暇になり、「少し歩きたい。」と言った。そのときに医師の指示で喉につけられた管を外され、3日ぶりに人間に戻った感じがし、立ち上がる時は不思議な開放感が得られた。長い間ベッドで寝ていると、宇宙から帰還した乗組員の様にまともに歩けなかった。看護師に体を支えられながら病室を一往復すると、年を取ったおじいちゃんやおばあちゃんが病床に(僕がそうであった様に)、管や器具をつけられて横になっていた。一見すると、意識が無いように思えた。ここは、人間が生きているというのを感じさせない部屋だった。
死と限りなく近い人間がいる場所だった。
心電図の「ピピッ」と言う規則正しい音が一日中耳に聞こえ、僕が寝ている間も耳から離れない。面会に来ている患者さんのご家族と思われる方々の泣き声が、よく聞こえる。時々放送がかかり「55歳、男性、首をつった模様、意識レベルなし」と言う声が聞こえて、「死」というものを間近に感じて怖くなった。自分もあんな様に放送されたのかと思うと、大変なことをしたのだと思い知らされた。


僕は時間が経つと次第に落ち着いてきて、仕事が終わると毎日面会に来てくれた父に、
「ごめんなさい。」と謝った。
「祖母ちゃん亡くなったよ。」と父は言った。父は僕がこんな事件を起こしたのにもかかわらず、優しい声で言った。僕が意識を失って運ばれた夜、祖母は亡くなったのだ。僕は自分の代わりに亡くなったのではないかと思って、また悲しくなった。父は心の病気についての知識はなかったと思う。鬱病という言葉は知っていても、自分の息子がそうであるとは考えもしなかった。どういう風に接すればいいかも、分からなかっただろう。しかし自分の息子が自殺未遂をした事によって、「普通ではない。」とだけ感じ取って、あまり責めることはよくないのだと思っていたようだ。それで僕は少し救われた。怒鳴られていたら、どうなっていただろうか。
ICUに入って四日目の昼に、僕は精神科の大部屋に移された。退院できなかったのは、「肺炎を併発する可能性があるためと、精神的な問題のため」だそうだ。僕はその時には日本の医療のよさで、かなり回復していて、運動も出来そうだった。僕が移された大部屋は、3階の6人部屋で僕が入って満室になった。そこはICUと違い、人間が生きていることを感じさせる、新鮮な場所だった。僕のベッドは一番窓際で、向かいの患者さんは何処かに行っているのか、歯ブラシや本などが棚に置かれ人が生活している様子が伺えた。横の患者さんは、いる気配はするのだがカーテンで完全に隔離している。後になって医師からは、「無理に出ようとしなくていいからね。」と言われていることがわかった。この患者さんは、僕が退院するまで1度も会うことが無かった。夜にはカップラーメンをすする音が聞こえてきたので、体調はそんなに悪くないことがわかったが、
ベッドと部屋との仕切りにカーテンをしている様に、精神的には社会との壁があったのだろう。


僕はインターネットで、オーバードーズの様な自傷行為リストカットと同じで、自己完結的なストレスの解消法である、というのを見たことがあった。実際に自分でも驚くほどオーバードーズをする前の、頭の重さや気分の落ち込みが無くなり、心が晴れたような高揚感さえ覚えた。まるで、ゲージから外に飛び出した猫の様に、解放感に満ち溢れていた。そしてネットでよく見ていた、「精神病院入院マニュアル」のサイトで、「精神科に入院していると薬の副作用と運動不足でお腹が出るのを要注意!!」と言うのを思い出し、ベッドの上で腹筋運動をするまでとなり、数日前まで死ぬことを考えていた自分は、何処かに行ってしまったようであった。病室に掃除に来ていたおばさんに、「本当に病気なの?」
と驚かれてしまうほどであった。


掃除のおばさんが出ていくと、今度は30歳くらいの男性が入ってきた。髪が長めで長身の、雑誌のモデルを思い出させるような外見と、それに伴う優雅さを持っていた。「こんにちは。私、精神保健福祉士の渡辺と言います。伊藤タカシさんですよね。お加減いかがですか?」と言い、
僕は、「何とか落ち着いています。」というと、
「少しお話聞かせてください。」と言って、僕のベッドのところに来て、周りから見えないようにカーテンを閉めた。渡辺さんはオーバードーズで飲んだ薬の種類、家族構成、 生い立ちを聞いてきて、
「簡単な心理テストをしていただきたいのですが」と言って、50項目ぐらいある薄い冊子を、僕に手渡した。そこには、「落ち込むことがあるか?」とか病状を調べるものから、「周りにスパイがいると思うか?」などかなり病的なものまであり、「かなり思う」から「全然思わない」まで5段階評価のテストだった。僕は試験を受ける優秀な生徒の様に素早くかつ、流れるように10分程でテストは終えた。最後に売店やナースステーション、トイレや浴室の場所を教えてくれ、「ありがとうございました。」と言って帰って行った。


精神保健福祉士が帰った後、僕はようやく部屋からも出られた。初めての「精神科入院」という、好奇心と不安とを兼ね合わせて、僕はトイレに行こうと歩いていると、部屋から出たり入ったりしている、君がいた。これが僕とルカとの初めての出会いであった。

ルカの部屋は食事をする、「談話室」と呼ばれる皆がいる大部屋を隔てて、僕の病室の反対側にあった。僕のいる部屋、通路、談話室、短い通路、ルカの部屋という感じだった。最初は、男の子か女の子か分からなかった。髪はショートで、少し茶の明るい色だった。ベージュのトレーナーとジーンズを履いていて、男性であっても女性であってもスタイルがとてもいい、ということは分かった。そして体を見てみると胸があった。それで僕は、女の子という事が分かった。
何かを待っているのかそわそわした様子で、まるでリスが素早く動くしぐさをしているように見えた。これは一目惚れとは少し違う。病院には不釣り合いな無垢な笑顔と、水が弾けるような健康的な容姿だ。
この出会いはある種衝撃的で、ルカの中性的な魅力を持つ不思議な色合いが、一瞬にして僕の心に焼き付いた。もし僕が画家だったとしたら、必死に彼女にモデルになって欲しいと懇願していたであろう。彼女のことを好きか嫌いかで言えば、「好き」だったのだと思う。僕が初めて見るタイプの人物だった。
その娘は、若い男性に話しかけられていた。よく見ると、その男性は左手の手首から下を指先まで包帯をしている。その男性は「菊池さん」といって20 代半ばくらいの人で、君と親しげに話している様子から、仲がよいのが見てとれて、僕は少し嫉妬心が生まれてしまった。しばらくすると、面談室から医師と50 歳くらいの女性がでてきた。君はその女性の所に行き、医師に挨拶をしていた。
「ルカちゃん、じゃあね!」と菊池さんは手を振った。「ルカちゃん」と呼ばれた娘は振り返って手を振り返し、病棟を出て行こうとした。そのあと、僕のほうもチラッと見た気がして、僕はドキッとした。話しかけたかったが、体裁のいい言葉も勇気もそのときは無かった。僕は、ルカが僕の存在に気付いたのであれば嬉しいと思った。
「ルカちゃん、退院だね。元気でね。」と看護師と話をしているのが聞こえた。僕が大部屋に移った日が、ルカの退院日だった。僕は、ルカがいなくなってしまったのを残念に思った。菊池さんと仲がいいのを、ルカにも菊池さんに気があるのか、もしかしたら付き合っているのか、などと話もしたことも無いのに邪推してしまった。大部屋での入院生活が始まり次の日、早くも僕にも話をするような知り合いが出来た。

初めに話をしたのは、三浦さんという年上の女性で、僕が歯を磨きに洗面所に行くと、話しかけてきた。そこの洗面所は5つの蛇口があり、お湯も出て鏡もあるので頭を洗っている人もいた。三浦さんは、歯を磨き終わったようだった。三浦さんはセミロングで、小柄で童顔な人だ。恐らく、30代後半だろうと思った。
「私、三浦と言います。お名前なんていうんですか?」
「あ、伊藤です。」
「最近入院してきたんですよね。私も入院したばかりで……。お話しする人は出来ました
か?」
「いえ、まだ全然です。」僕は歯ブラシとコップを持ちながら答えた。
「私もいなくて。」三浦さんは立ち尽くしている僕を見て、
「歯、磨くんですよね。止めちゃってごめんなさい。じゃ、また。」と言って、笑顔で洗面所から出て行った。
何もわからない入院生活で話す人が出来たことは、僕の不安を少し払拭してくれた。三浦さんは僕が入院する1 日前からいること。入院すると髪が長いと面倒なので髪を切ったこと。その他、実は統合失調症であること。お金の管理が出来なくなって社会での生活に支障が出て入院してきたこと。お金はナースステーションで管理されていて自由に使えないことなど、自分のプライバシーに関わることも話してきた。三浦さんはとめどなく話して、僕は頷き、医師に病状を話す患者の様だと思ってしまった。僕は三浦さんに好意を抱かれているのではないか、と思った。それは後になって正しかったことがわかった。話をしていて、
「じゃあ、ジュース奢りますよ。僕も飲みたいから」と僕が言うと、
「いいの?なんだか悪いなぁ。」と三浦さんが言ったが、
「いいですよ。」と言って、ジュースを奢ってあげた。僕は、今までもこういう人の良さを出して、生きてきた。それが人に好かれるため、嫌われないための僕の「生き方」だった。
そして、それが看護師に見つかって、僕は入院早々怒られた。いきなりの失敗だった。「これからはやめて下さいね。」と看護師に言われ、ナースステーションで預かっている、三浦さんのお金から、ジュース代を返された。三浦さんはお金の管理が出来ない病気でもあるのだ。僕は、
「三浦さん、ごめんね。」としきりに謝った。三浦さんは、
「こっちこそごめんね。」と笑って許してくれたが、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
僕は、「嫌われること」、「悪く思われること」に過敏になっていた。僕の心に営業のアルバイト中の、嫌な思い出が蘇った。人に良く思われなくては自分を保てない。僕の「心の足」は重傷で、一人では立っていられなかった。倒れると頭痛がし、頭が重くなる。僕は頭が重くなり、その日は食事も喉を通らず、看護師はそのことを医師に報告し、抗鬱剤の点滴をしてもらった。鬱の症状は、体の痛みにも出る。マニュアル通りだ。僕は点滴が終わると、嘘のように僕の体調は回復した。それはアナフラニールの点滴で、唯一点滴できる抗鬱剤だった。僕は、怒られた事は忘れるくらい回復した。自分でもこんなにも回復するものか、と驚いてしまった。


僕は何もすることもないので売店を見に行こうと思い、ついでにジュースを買いに廊下を歩いて行った。廊下は、病棟を出て少し行くと微かに悪臭がし、さながら汚い公園のトイレを思い出した。それは何の匂いかわからず、それは閉められた扉の中からしているようだった。3階の案内図を見てみると、認知症患者が入院している、とのことだった。僕の入院している間、この扉が開いているのを見ることはなかった。売店にはお菓子や菓子パン、インスタントコーヒーや醤油などの食料品から、女性雑誌やタバコも売っていた。しかし、殆どが定価以上の値段で、僕はここでは物を買うことは無かった。外に出られない患者相手の、足元を見た商売だ。売店のおばさんは50代くらいの小太りで、厚化粧のどこにでもいる「おばさん」だった。愛想があまり良くなく、物の売買以外で話しているのを聞いたことはなかった。
売店の前にはベンチがあり、売店の横にはジュースの自動販売機が2つ並んでいる。ベンチには曽根さんという40 代くらいの女性と、大森さんという100キロはあろうかという50代くらい男性が座っていて、僕は声をかけられた。ベンチの大きさは3人がようやく座れる程度のもので、大森さんが座ると2人がやっとというものであった。そこで僕は、
「伊藤タカシです。」と自己紹介をすると、
「じゃあ、タカちゃんと呼んでいい?」と聞かれた。曽根さんは誰とでも気さくに話せる性格なのか、僕はこの日から「タカちゃん」になった。
2人から見れば子どもの歳と言ってもおかしくない僕に、入院生活について教えてくれた。まず、寝間着でいた僕に精神科病棟では起きている間はきちんとした私服を着ること。これは他の病棟とは違って、入院中に社会に出てもやっていけるように、退院後の生活を送れるように、ということだった。そう言われると、曽根さんも大森さんも私服を着ている。曽根さんにいたっては、口紅をつけて化粧をしていた。精神科の病棟では、それが当たり前のようだった。他の患者も寝間着を着ている人は1人もいなかった。それから物をあげないこと。1度あげると何回も貰おうとする輩がいるからだ。するなら「物々交換」にしておくこと。
物を盗まれないようにすること。洗濯し終わって乾燥室に干しておくと、盗む人がいるらしい。被害者が続出するので、乾燥室を使うときは注意すること。
そして、本やラジオなどを、持ってくること。体に痛みがあるわけではないので、精神科病棟は限りなく「暇」らしい。実体験からのアドバイスなので、とてもためになった。しかし、自分の病気のことを話すのはタブーではないらしい。同じ心の病を持った人から聞ける言葉は、時に医師や薬よりもよく効くらしい。曽根さんは躁鬱病、大森さんは対人恐怖症と統合失調症感情障害だという。
曽根さんは躁状態のときに、クレジットカードで買い物をしまくったあげく入院したらしい。そして躁のときは2人いる子どものことを放って置いて外出し、鬱のときは寝込んで家事も育児も出来ない自分に嫌気がさすのだと言っていた。大森さんは名前の通り大柄で、体格のいい方だ。僕が、
「営業の仕事の影響で対人恐怖症になった。」というと、
「対人恐怖症は年をとってもなかなか治らないね。」と苦労話もしてくれた。
統合失調症感情障害とは統合失調症(幻覚や幻聴が聞こえたりするなど)と、気分障害(主に鬱や躁)があることをいう。大森さんは若いときは鬱状態のときに「死ね」という幻聴が聞こえ、長い間入院したらしい。両親も亡くしているので、1人で家にいる時に幻聴が聞こえて死んでしまうのではないか、というのが怖くて退院できないそうだ。


僕は、皆と話すうちにあることに気付いた。僕は三浦さんや曽根さん、大森さんと話すとき、無意識のうちに好印象を与えようと振る舞っていた。嫌われたくない。嫌われたら終わりだ。また鬱状態になる。僕は学校や家でさえ、「誠実でいい人」を演じていたことに気付き始めた。でも世界は広く、そんな些細なことにとらわれていた僕は「井の中の蛙」で、人生は「いい人」を演じ続けて上手くいくほど甘くないと思った。心の病気は、僕にそういうことを気付かせてくれた。
それから2日が過ぎ、僕は皆といつもの様に話をしていると、3階の窓の外からルカが歩いているのが見えた。僕はすぐにわかった。あの純粋そうで中性的な魅力は、僕に大きな印象を与えていた。君を再び目にすることが出来て嬉しかった。
「あの娘、入院していた娘じゃないですか?」と僕が聞くと、
「あ、ルカちゃんだ。ルカちゃーん!」と、曽根さんが窓を開けて大声で言った。そうすると、ルカはこっちを向いて手を振った。曽根さんと大森さんも手を振り返した。ルカは北海道の短い夏の初めのまぶしい太陽に照らされて、とても健康的な女性に見えた。外見上はその辺を歩いている女性よりも眩しく、精神科に入院していたのが嘘のようだった。
「今日、診察の日なのかね。」と曽根さんが言った。
「ルカちゃんっていうのですか?」と、僕は確かめるように曽根さんに聞くと、
「うん、嶋田ルカちゃん。まだ18歳なんだよ。タカちゃんは?」
「18です。」
「じゃあ、同い年だね。2人とも可愛いしスタイルいいからお似合いじゃないの?」
突然そういう話になってびっくりしたのと、少し嬉しいのとあったが、
「でも彼氏いるんじゃないですか?」と、僕は菊池さんのことが気になって言った。
「いないんじゃない。」と、曽根さんは言った。「でもルカちゃんの私生活、結構謎だよね。」
僕は菊池さんとの関係を聞くのが恥ずかしくて、これ以上聞けなかった。でも、「いなけれ
ばいいな。」と思った。
僕が、ルカを窓の外に見つけた日からは夕食の後、3階にある売店の前のベンチに、僕と曽根さんと大森さん、ヒトミちゃんという20代後半の女性が集まって、何でもないことを話す習慣が出来ていた。まるで井戸端会議だ。
ヒトミちゃんは同じ病棟に入院していて、背が150センチもなく僕よりも年下に見えたが、曽根さんの話では子どもがいるそうだ。
「ルカちゃん、午前中に救急車でICU に運ばれたらしいよ。」と、曽根さんが言った。
「またODかな。」と、大森さんが言うと、たまたま近くにいた菊池さんもそれを聞いてい
て、話に割り込んできた。
「この前退院したばっかりでしょ。ルカ、また入院かな?」
「ルカ?」菊池さんは確かに呼び捨てで言った。
ルカの前では、「ちゃん」付けだったのに、やっぱり付き合っているのだろうか?僕は気になると同時に、残念で心が萎えてしまうのを感じた。
「なんでルカって呼び捨てなの?」と曽根さんが少しきつく言った。おお、曽根さんナイス突っ込み!
「だって年下だし、仲もいいから普通だよ。」やっぱり菊池さんとルカは仲がいいようだ。曽根さんと大森さんはこれ以上関わりたくないような感じで立ち上がって、自動販売機のほうへ歩いていった。
僕は菊池さんと2人になり、なんて言っていいかわからずにいると、
「最近入ってきたの?名前なんていうの?」と聞かれた。
「あ、伊藤です。」と言うと、
「下の名前は?俺は菊池ユウジ。」
「タカシといいます。」菊池さんは近寄ってきて、
「タカシ君か。よろしくね。俺、26歳で多分年上でしょ?半年くらい入院しているから分からないことがあったら、なんでも聞いてよ。」と、包帯をしていない右手で僕の肩を叩いた。菊池さんはリストカットで腱を切ってしまったのと、精神的な問題もあって入院しているという事だった。気さくな感じで、どうやらいい人のようだ。ただ、ルカと呼び捨てで言ったのが解せない。それに、ルカが退院するときに仲良く話していたのが気になる。
菊池さんが呼び捨てで呼ぶところがまるで、「自分の女だからな」と言っているような気がした。態度の軽さが、まるで口の上手さで女性からお金をねじとるホストのようだ。いまいちこの人が、どういうタイプの人なのかわからなかった。すると、「あ、さっちゃんだ。さっちゃーん!」と言って、振り返って「さっちゃん」と呼ばれた細身の女性のところに、行ってしまった。うーん、まったくもってわからない人だ。僕は胸に、もやもやを抱えた
まま、病室に戻りベッドに横になった。


僕が入院して1週間が経った日、いつものように皆が集まっている売店前のベンチのところに行くと、ルカ、君がいた。僕は突然の再会で嬉しかったが、彼女は問題があって入院したのだと思うと、手放しに喜べなかった。
眠剤50錠飲んで、地下鉄の南北線に乗ったところまでは覚えているんだけど、」とルカは少し照れくさそうに言った。
「先生が言っていたんだけど、終点の真駒内駅について気を失っているところを車掌さんに発見されて、財布に入っている診察券を見てこの病院に運ばれたみたい。」ルカはタバコを吸いながら、どこを見るともなく遠い目をしていた。
「無意識に死に場所、探していたのかな?」以前に見せた弾けるような笑顔はそこには無かった。まさに生気を吸い取られた、精神科の患者だった。僕はルカがこんな顔もするんだ、と可哀想に思った。よく顔を見てみると、女性というよりもまだあどけなさの残った少女だった。
「生きていたら色々あるよ。でもルカちゃん、悪い事ばかり考えていてもダメだよ。タカちゃんも18歳だって。同じ年で友達になれるんじゃない?」と、曽根さんがまたもや突然に言った。
「えっ!」と、僕は焦ったが、君は、
「はじめまして。嶋田ルカっていいます。」と少し笑顔を見せながら言った。僕も、
「はじめまして。伊藤タカシです。」と言った。
「ルカちゃんと、タカちゃんでいいコンビじゃん」曽根さんはいつもいいタイミングで、僕が喜ぶようなことを言う。からかっている感じで言っていない所が、曽根さんのいいところだ。
この時、生きる意味を無くしていた僕のこころに、少し変化が訪れた。僕は「ルカ」と呼ばれる娘と、知り合いになれたことが嬉しかった。ルカはこの時どう思っていただろうか?退院して1週間後に再入院した君の顔は楽しい未来を抱いているとはとても見えず、大きな山の前に立ちすくむ子猫のようだった。
そしてその時から僕とルカは次第に仲良くなり、いつの間にか自然に一緒にいるようになった。一緒に入れることが嬉しく、居心地が良かった。微かな光明が差したような気がした。そしてルカは、
「ねぇ、聞いてよ。私、田中先生に胃洗浄されたんだよ!裸見られたー。最悪ー。」と言ってしょげていた。ころころと変わる君の顔は、さいころの出目のように変化して、本当の君はどんな顔をしているのだろうと思った。


8月10日13時6分
「実は10日ほど前にODしてICUに運ばれました。(笑)
救急車初体験です。
と言っても記憶がないので覚えてないです。
胃洗浄もされたかどうかも分からないです。
記憶がない。
結構、危ない状態だったそうです。
死んだら死んだでいいんですけど、
なんか生きてしまっています。
ICUから精神科の病棟に移って、入院することになりました。
精神科入院も初めてです。
これから上手くやっていけるのか!?
大部屋に移って、1週間程だけど話をする人もできました。偉いぞ自分!
今日、素敵な女の娘と話をすることが出来ました。
Rちゃんです。
クスリや点滴のおかげなのか、
ODの作用なのか結構体調いいです。
Rちゃんと仲良くなりたいです。(照)」


入院中はブログを更新できなかったが、自分の気持ちを落ち着かせるためにもブログの代わりにノートに日々の出来事を書き続けていた。
翌日の午前中、僕が売店前に行ってみるとルカはいなかった。病室にいるのかな?と少し寂しく思っていると、ルカが階段を、子馬が坂路を駆け上がる様に勢いよく走ってきた。ルカは、夏物の雲一つない青空のような水色の綺麗なTシャツとジーンズを履き、大きなバックを肩からかけていた。僕は息を切らしていたルカに、
「どこに行っていたの?」と聞くと、
「朝一でうちに帰って、着替え持ってきた。」と言った。
ルカは北区のアパートに1人暮らしで、バスと地下鉄で行ってきたらしい。放送かかってないでしょ?と僕に聞いて、お金も下ろしてきたと言った。
「退院してまたすぐ入院なんて親に言えないから、入院費払わなくちゃいけないでしょ?カード持ってないから、貯金全部下ろしてきた。」と言った。聞いてみると、お金はお年玉や仕送り、そして大学に入って少ししたアルバイトのお金だった。
「どんなアルバイトをしていたの?」と聞くと、
「家庭教師だよ。」と言っていた。高校生の数学を教えていたそうだ。頭がいいんだ、と僕は思って、自分で入院費を払うルカは自立していると思った。全ては親任せの僕とは違っていた。