「死んでいった君へ、、、。」

「あの時、死んでいたらいいのか今でも分からない。ただ今生きているのは、君を想う人を存在させるだけかもしれない」

3、精神科入院生活

僕達が出会ったのは、北海道の短い夏の8月の初め。青空をキャンパスにして、大きな綿菓子の様な雲と太陽の光のコントラストでとても天気の良い、大きな病院の開放病棟だった。普通、自傷他害のある患者は閉鎖病棟に入れられる。しかし僕が入院した病院は、管理が甘かった。それと、空いている病床が開放病棟にしかなかった。
僕は3階の開放病棟、ルカは緊急で入院したので3階に空き部屋がなく、6階の開放病棟に入院した。
医師に入院する時、
「絶対、リストカットはしないでください。」と言われた。そう言われたが、それで止められるのならば入院などしていない。 本当に止めさせたければ、何としても閉鎖病棟に入れるはずなのに、と僕はこの医師に疑問を抱いた。
開放病棟は、どちらかというと比較的落ち着いている患者が、「休憩」のために入院するというのが多い。閉鎖病棟に入る時は厳重に荷物の検査をし、自傷をする可能性があるカミソリや鏡(壊して自傷するので)、ベルトも首つり防止にナースステーションに預けることになっている。買い物やお風呂に入るのに病棟から出るには、毎回看護師に鍵を開けて貰わなければならない。 


僕は外出してはカミソリを買って来て、ベッドの上でカーテンを閉めて腕を切っていた。それが見つかって外出禁止になった時は、三浦さんに吸っているタバコを借りて、腕に押し付けた。そうしないと、僕は頭がおかしくなりそうなほど、苛立っていた。普段はロングリストバンドをして隠している。他の人が見て、引かれるのも、「どうしたの?」と質問されるのもうざかった。
ただルカはだけは、そんな僕を見て、
「ODはしないの?」と聞いた。
「だってクスリは管理されているから、出来ないじゃん。」と言うと、
「私はよくやるよ。」と笑った。僕は驚いて、
「入院中に?どうやってやるの?」と聞くと、
「教えない。」と、いたずらっぽく笑った。ルカだけは、引かなかったし、一辺倒な質問もしなかった。ルカと話せたこと、笑顔を見られたことに僕は入院していることを忘れてしまいそうになった。ここには恋愛しに来たのではない。病気を治すために皆、来ているのだ。しかし、僕はルカという心の拠り所を見つけてしまい、夢中になっていった。


8月11日16時20分
「なんか入院してから調子いい。
でも腕を切っている。
自傷衝動がでて、落ち着かない、
死にたいわけではない。
アムカが完全に僕の一部になっている。
調子よくても悪くても切るのは異常だろうか?
皆、「若いからこれからだよ。」って言うけど
全然慰めになっていない。
若くてこんな状態なのは、取り返しのつかない時間を
使っているのがどんなに嫌か分かっているのだろうか?
とはいえ、Rちゃんと結構話せる。
正直に嬉しい。
髪が短くて、遠目に見ると男の子にも見えるけど、
ちゃんと女の子です。
かなり気になる娘です。
ちょっと入院楽しい!暇だけど!」


8月も中旬になりかけていたある日、僕達はいつもの様に僕達は売店前のベンチに集まっていた。エサに群がる鳩の様に、と言ったら怒られるであろう。でも規則正しく僕らは集まる。
売店は5時で閉まるので、シャッターが下りている。自動販売機は消灯時間までやっているので、僕達はジュースを飲みながら話をしていた。ビールでも売っていたら、毎晩宴会が開かれるであろう。
その日の夜も、僕と曽根さん、大森さんと菊池さん、そして6階からルカが3階の売店前まで降りてきて話をしていた。売店前のベンチに曽根さんと大森さんが座り、向かいに僕と菊池さんを挟んでルカと3人で廊下に座っていた。曽根さんと大森さんは菊池さんがいるからか、口数が少ない。
「なんでいるの?」と、曽根さんが小さな声で大森さんに言うのが聞こえた。多分、菊池さんのことだろう。水と油のような存在になっている。いつもは菊池さんはいなく、ルカがいるから来ているのだろうと思った。
菊池さんは、いろんな人と話しているのをよく見る。主に女性が多い。というか、ほとんど女性だ。僕には、菊池さんがどういうつもりで、いろんな女性に声をかけているのかわからない。床に座っている3人を見て、
「タカちゃん、ルカちゃん、交代するよ。俺そっちに座るよ。」と大森さんの2人分の幅を譲ってくれた。恐らく、ルカを菊池さんから離したかったのだろうと思った。
「ありがとう。」とルカが言って立ち上がるとルカに異変が起こった。体が硬直して震えている。皆が異変に気付くと、ルカの目から涙がこぼれた。
「ルカちゃん、大丈夫?」と大森さんが言うと、「あれ?」と言って、支えの無くなった人形の様に崩れ落ちそうになった。大森さんが体に似合わず俊敏にそれに気付き、ルカを支えた。
「どうしたの?」と菊池さんが聞くと、
「どうしたんだろう。短期作用の眠剤多かったからかな。」と言って、大森さんがベンチに座らせた。
「薬変わったの?」と僕が聞くと、
「眠れないから眠剤増やしてもらったんだ。」と言った。ほんの2,3分でルカは平常に戻った。まるで、手品師にマジックをかけられているようであった。皆が心配して、
「ベッドに入ったほうがいいよ。」と曽根さんが言うと、
「じゃあ俺6階まで連れて行くわ。」と言って菊池さんがルカを連れて行こうとした。曽根さんが僕にいいの?という感じで目配せをしたのに気付き、
「僕が連れて行きます。」と(自分でも驚くほど強引に)、ルカの腕を取った。
「お、おい。」と菊池さんは言ったが、「菊池さん、片腕で危ないから。」と、自分でもよく出た言葉だと思うような取ってつけた理由を言って、さながらお姫様を守る勇者にでもなった気分で、僕はエレベーターにルカを連れて乗った。6階のボタンを押すと
「ありがとうね。タカちゃん。」とルカは笑顔を作って少し僕に寄り添った。しおらしい仕草は、ボーイッシュな外見からは想像も出来なく、僕はルカの髪の毛が暖かくて柔らかく魅力的なにおいを感じて、ルカを守りたいと思った。


8月14日午後21時52分
「Rちゃんのことについて、Kさんが気になる。
KさんはRちゃんに気があるのだろう。
でも今日は自分なりにかなり頑張ったよ。
Rちゃんと寄り添ったりしていい気分。(照)
最近あんまり落ち込むことがない。
でも、病室で1人だと思うと不安になる。
だからなるべく、他の患者さんと話をする。
対人緊張があって最初は話すのが大変だったけど、
皆、心の病気。
僕のこともわかってくれる。
結構居心地いいなぁなんて、
不謹慎なことを考えています。」 


僕はよく暇つぶしに、夕食前に行われるマージャンを見学していた。そこの面子の林田さんという50代くらいのおばさんに、
「いつも見ているけど、マージャン出来るのかい?」と聞かれた。
僕は「出来るけど、見ているだけでいいんです。十分楽しいですよ。」と言った。それは本心だった。4人でマージャン卓を囲んでするのは、今の僕にはかなり緊張して思うように楽しめず、疲れるだけだと思った。営業の仕事は元々人見知りの僕に、「対人緊張」という更なる病原となっていた。僕は、同じマージャン仲間の、「角井のじいちゃん」とも話をするようになった。
林田のおばさんからは、「精神科病棟はトラブルを起こす人も多いけど、タカシ君は性格がよくて結構好かれているよ。」と言ってくれた。僕は対人関係でトラブルを起こすと、死にたくなって切ってしまうので嬉しくて安心した。
僕は何でもなくても切ることもあるのだが、「嫌われているのではないか?」と想像するだけで自傷の衝動が出て、鬱状態になる。それなので普段から嫌われないように、かなり注意を払っている。人に良く思われようとしている偽善者なのだ。自分でも分かっている。

そして僕は角井のじいちゃんが76歳であること、左手の小指がないこと、そして今だに「いやらしい本」をベッドの下に隠していることを知った。僕は、「小指の行方」については、出すぎているようで聞けなかった。角井のじいちゃんは、「いやらしい本」は退院して行った人から代々受け継がれているもので、
「貸してやろうか?」と言われたが丁重にお断りした。角井のじいちゃんは、物静かな感じを受けていたので、それがとても面白かった。
角井のじいちゃんは、朝起きるのも早かった。僕は睡眠障害があり、薬を飲んでも4時位には目が覚める。早朝に起きているメンバーは僕、角井のじいちゃん、そして摂食障害のさっちゃんだった。
さっちゃんは24歳でお子さんはいないけれど、婚姻歴があった。旦那さんとは半年前に離婚していて、それから一時は治まっていた拒食と過食嘔吐をぶり返したそうだ。165センチの身長で体重が35キロを近くになってしまったのと、離婚のストレスで3 ヶ月前くらいから入院していた。
さっちゃんは髪が長く、痩せすぎているけれど十分に魅力的だった。さっちゃんとは毎朝会うので友達になり、仲がいいので僕とさっちゃんが付き合っていると思っていた人もいたようだ。
さっちゃんの話によると、旦那さんと出会う前は、ススキノの風俗店で働いていたそうだ。そして、旦那さんと別れてからは故郷の秋田には帰らず、お金がなくなったらまた風俗でバイトをして生活費を稼いでいたらしい。このことは両親も知らないようだ。大学で北海道に来てからは、最低限の連絡しかしていないらしい。入院していることも知らせていないので、日中外出して、地下鉄でススキノまで行き、必要な入院費を稼いでいるという。
僕は別に特別な偏見を持っていないので、さっちゃんの生き方に抵抗はないが、もしそれがルカだったらやっぱり嫌だ。さっちゃんは僕に、
「話をよく聞いてくれるものだからついつい話しすぎちゃった。他の人には内緒だよ。」と言った。旦那さんはその事を知っていたのか聞いてみたら、「知っている」のだった。と言うか問い詰められて、「ばれた」と言うのが正しいらしい。僕は旦那さんの気持ちも少しわかった。
そんなことを話している間にみんな起きてきて、朝食を食べた。さっちゃんは食べたすぐ後にトイレに行って、ほとんど吐いていた。さっちゃんはまだ20 代前半だけど、色々問題があるとはいえ、自分の力で生きていた。
僕は、さっちゃんがススキノで働いているのを聞いて、ススキのような人だと思った。些細な風で大きくしなってしまうものの、自分の力で立っている。僕は素人に作られた、剣山に刺されている外見が綺麗なだけの花だ。中身が無い。根本は刈り取られて、自分の力では立っていれない。さっちゃんは大変な仕事をしているのを見せない強さもあったが、その分それが病気の原因になっているようだ。親に心配され、仕事もしていない自分は、さっちゃんから見ると「子ども」だった。親に甘えすぎていると思い、色々壁にぶつかりながらも生きているさっちゃんをすごいと思った。
朝早く起きることで、僕はよく昼食後に昼寝をしていた。夜は眠剤が無いと寝られないくせして、昼はよく寝る。起きると午後3時45分で、お風呂の終了時間まで後15分だった。
僕は慌ててベッドの下の衣装ケースからT シャツとトランクスを取って、シャンプーなどのお風呂セットを持って、浴室に向かった。この病院の浴室は大浴場で、1度に10人ほど入れるスペースがある。
僕は急いで脱衣所で服を脱いで、入ったときは3人しかいなく、もう出ようとしていた。そのうちの1人は背中にアメリカのバスケットボールチームのマークの様な、大きな刺青が彫られていた。僕は怖くて思わず浴室を出ようとも思ったが、出来るだけ関わらないように、端のほうに座った。シャワーを出して頭を洗おうとすると、
「おう、タカちゃん。」とあまり聞きたくないが、聞き覚えのある声がした。それはあの刺青の人で、なんと菊池さんだった。僕は、
「どうも。」と軽く会釈すると刺青のことを気にしてか、
「大丈夫。ヤクザとは関わりないから。ただのファッションだよ。」と笑いながら言った。左の手首には包帯はしていない。入浴の時だけ取ってもらっているようだ。僕はどうも会うたびにこの人のことが分からず、最初の気さくな人の印象から、悪い感じを覚えるようになっていくのを感じた。
しかし初めて会ったときから考えて、菊池さんは僕のことを友達だと思っているようで困ってしまう。確実に懐いてきている。このことを、僕は後から大森さんに言うと、
「あいつはいい奴じゃない。関わらないほうがいいよ。皆嫌っている。」と言っていた。「ファッションだって言うけど、あの刺青をセンスがいいと思っているそのセンスがおかしい。」と言っていた。


その日の夜、夢を見た。
菊池さんとルカが、ベッドに座って楽しげに話している。ルカは、
「菊池さん、手首大丈夫?」と、言って菊池さんの手を取って擦っている。菊池さんはルカの腰に手を回し、上着を脱ぎ、「この刺青、ルカのために彫ったんだよ。」と言った。狐の入れ墨だった。誰でもだまして手玉にとる。僕は病室の扉越しにその光景を見ていて、止めようとするが声が出ない。這ってでも2人のところにいこうとするが、泥沼に埋まってしまったように動けない。大森さんがいる。大森さんは、
「タカちゃん、関わらないほうがいいよ。」と言った。関わらなかったら2人を止められない。僕はルカが好きなんだ。他の男と一緒にいるところなんて見たくも無い。
「その手を離せ、ルカ!騙されているんだ!あいつはいい奴じゃない!」そう言って目が覚めた。最悪な夢だ。T シャツは汗でびっしょりだった。あの人には、ルカは渡したくなかった。僕は、ルカが好きなのだと思った。僕は淡い気持ちだったルカへの感情が、愛情へと変わっていったのに気付いた。